ツァーリ・ボンバは本来、核分裂-核融合-核分裂という三段階の反応により100メガトンの威力を実現する多段階水爆(Staged Radiation Implosion Bomb)である。しかし、100メガトン級の爆発ともなればソ連領内の人口密集地へ多量の放射性降下物(死の灰)が降ってくることが予想されたため、実験にあたっては第三段階のウラン238の核分裂を抑えるようにタンパーが鉛に変更され、出力は50メガトンに抑制された。この結果、放出する放射性物質の量はその出力の割にはかなり小規模なものとなった。
設計はソ連の核開発秘密都市アルザマス16でソ連科学アカデミーのユーリ・ハリトンを中心とし、後に「ソ連水爆の父」とも呼ばれるアンドレイ・サハロフ、ヴィクトル・アダムスキー、ユーリ・ババエフ、ユーリ・スミルノフ、ユーリ・トゥルトネフなどのメンバーが参加した。サハロフはツァーリ・ボンバの爆発実験の後、核兵器反対を唱えるようになったという。
ツァーリ・ボンバは特別な改修をうけたTu-95戦略爆撃機によって運搬・投下され、測定・撮影用にTu-16Vが随行していた。熱線による被害を最小限に抑えるため、この2機には特殊な白色塗料が塗られていた。また、ツァーリ・ボンバは重量27トン、全長8メートル、直径2メートルと巨大であり、そのままではTu-95の格納庫に搭載できなかったため、格納庫の扉と翼燃料タンクは実験に際して取り外され半埋め込み式に搭載された。なお、Tu-95は当時のソ連製爆撃機の中では最大級であった。このことからもツァーリ・ボンバの巨大さをうかがい知ることができる。
ツァーリ・ボンバには重さ800キロのパラシュートが取り付けられた。これは投下機に爆心地から45キロメートルほど退避する時間を与えるのが目的である。このような対策をしない場合、猛烈な熱線と衝撃波が投下機を襲うか、弾頭が高速で地面に激突して一面に想像もつかない結果を引き起こしてしまう。アメリカも同様の理由で核爆弾の一部にパラシュートを取り付けた(なお広島、長崎市への原子爆弾投下の際にパラシュートをつけて投下したと言う証言があるが、これは原爆投下前に観測用として投下されたラジオゾンデを見誤ったものであり、両市への投下の際はパラシュートはつけていない)。
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午前11時32分、ツァーリ・ボンバは北極海にあるロシア領ノヴァヤゼムリャ上空(73.85°N 54.50°E)に投下された。投下高度は10,500メートルで、内蔵された気圧計によって高度4,000メートル(海抜4,200メートル)に達した時点で爆発した。一次放射線の致死域(500rem)は半径6.6キロメートル、爆風による人員殺傷範囲は23キロメートル、致命的な火傷を負う熱線の効果範囲は実に58キロメートルにも及んだと見られている。
爆発による火球は地表まで届き、上部は投下高度と同程度まで到達。その様子は1,000キロメートル離れた地点からも見えたという。生じたキノコ雲は高さ60キロメートル、幅30-40キロメートルであった。爆弾の性質上、核分裂による放射性汚染はわずかだった。この爆発による衝撃波は地球を三周してもなお、空振計に記録された。日本でも測候所で衝撃波到達が観測された。
当初、アメリカはツァーリ・ボンバの爆発力を57メガトンと推測していたが、1991年に公開されたソ連の関連資料により、実際は50メガトンであったことが判明した。それでもなお、ツァーリ・ボンバの破壊力は単一の兵器としては人類史上最強である。ちなみに、アメリカが開発した最大の核爆弾Mk-41の爆発エネルギーは最大でも25メガトンであるとされ、実際に核爆弾Mk-17を用いた爆発実験『キャッスル作戦』(ブラボー)は15メガトンである。
TNT換算50メガトンの爆発では2.1×1017ジュール(= 210 PJ)のエネルギーが解放される。爆発中の平均仕事率は5.3×1024ワット(= 5.3 YW)に相当した。この仕事率は太陽の光度の約1パーセントにあたる。
ツァーリ・ボンバは1950年代にアメリカとソ連によって開発が競われた一連の高出力型核爆弾の究極ともいえる存在であった。このような高出力爆弾が開発されたのは、
核爆弾を搭載する爆撃機は低速かつ大型なので相手に探知されやすく、迎撃される可能性が高かった。そのため、成功したときの破壊力を高めようと一発の爆弾の威力を重視した
無人偵察機や偵察衛星などが発達する前だったので、互いに敵陣営の軍事・工業施設の正確な位置が分からなかった
航法装置の精度が低かったため、爆弾投下位置の決定精度に問題があり、爆撃目標と投下地点の間に誤差が生じるほか、爆弾投下時に使用するパラシュートが風の影響を受け、目標より流されてしまう
などの理由による。つまり、目標から5-10キロメートルほど離れた地点に投下された場合でも周辺の施設を「余すところなく」消し去ることができるよう、これらの爆弾は設計されたのである。爆発エネルギーと効果はある程度相関があるという考え方であった。
だが、その重量と大きさゆえ運搬が非常に困難であり、ICBMに搭載することができない。ツァーリ・ボンバは強力ではあるが非実用的兵器であったといえる。
その後、慣性航法装置などの発展によって、ICBMのCEP(半数必中界)が500メートル以下に改善されたこともあり、このような大型大出力の設計は完全に時代遅れになった。1960年代から1970年代にかけての核開発では正確性・安全性の向上、ならびに小型化が目標とされた。最近の主流はMIRVなどを用い、多数の小型核爆弾によって地域一帯を覆い尽くすことである。これは爆発による破壊力が爆心点からの距離の3乗に比例して減衰する特性を持つことなどに起因するもので、現在ではこの方がより効果的であると考えられている。